「自分の」葬儀に対する希望を明確に

祖父の葬儀の際のことです。祖父は生前、子供である父と叔母と仲が悪く近所に住んでいるにもかかわらず亡くなる数年ほど前から交流がありませんでした。
まだ交流が僅かながらあったころ、祖父は自分が死んだら骨は拾ってくれるな、と言っていました。
祖父は急逝し、ごくごく一部の身内のみで寝屋川の斎場に集い葬儀をしました。ごく一部と言えど、久しぶりに会う親族も参列しました。
葬儀が終わり、火葬場に行った後、祖父の生前の意思を汲み骨上げをしませんでした。その際に親族へ説明する事がとても大変でした。
急逝でしたので、遺言書があるわけでもありませんでした。

火葬場へ着き、火葬のボタンを押し、従来なら控え室で待つことになりますがそのまま外へ誘導されました。事情を知らない親族は、これで終わりなのか、とあっけにとられていました。
詳しい事情をどこまで説明していいものなのか(不仲であったことをどこまで説明したらいいものなのか)とっさのことでしたので、言葉を濁しつつ、本人の意思だったので、と伝えるしかありませんでした。解決には至らず、今もあの時どうすべきだったのかわかりません。

今終活が話題になっていますが、終活は残された遺族の為にもしたほうがいいと思います。急逝することは誰にも予想がつきません。
私はまだ30代ですが、この先何があるかはわかりません。歳にかかわらず自分が死んだあとの希望を文章として明らかにしておくことは重要だと思いました。